第1章 夜色の宿命 13話


「しかし、考えようによっては好機とも言えるかもしれません」
「好機?」

 今は夜半過ぎ。昨日決めた通り、話し合いをしている最中のことだった。室内には金烏と玉兎の二人のみ。
 金烏がおうむ返しに疑問を投げかけると、卓子を挟んで差し向かいの弟から首肯された。

「単独行動をする大義名分ができたと言い換えても差し支えない、と思うんです」
「それもそうか」

 確かに、探しものを探していると言えば、一人で動き回っていても怪しまれない時間がぐっと増える。

「加えて、ここの皆さんが手こずる相手なら、姉さんにも同情的になりますしね」

 田児丸の口ぶりからしても、相当な問題児として認識されているらしいから、事情説明の手間も省ける。
 その発想に思い至らなかった。こんなことも浮かばないとは動揺し過ぎだ、と自分に対して嘆息する。
 しかし、これで今後の軌道修正は容易になった。

「ありがとう、玉兎。おかげで考えがまとまった」

 玉兎の表情が笑みに綻ぶ。

「礼には及びません。お役に立てたのなら何よりです」
「そうだ。日中の探索は私がやるから、お前はそのまま先輩についててもいいよ」

 玉兎は唐突な申し出にいささか驚いたようで、慌てて首を振った。

「まさか、姉さんだけ働かせるわけには」
「私は大丈夫。私が一人でうろうろする以上、お前が真面目に研修を受けてくれる方が自然だ」
「それは……」

 目標達成の条件は怪しまれないこと、それは玉兎も重々承知していることだろう。それでも葛藤を続ける弟の背を押すべく、金烏はさらに言葉を重ねる。

「日が落ちたらお前の方が夜目は効くし、頼りにしてる」
「そういうことなら、分かりました」

 弟から承諾を得られてほっとした。後は、無事にあの瓶を取り戻せばいいだけだ。
 それが一番困難を伴うことだと、今の彼女は知る由もなかった。

 **

 翌日。金烏は田児丸の許しを得て、午後は耕太を探すことになった。
 田児丸は人手を回そうかと提案してくれたが、そこまで迷惑はかけられないと丁重に断った。
 耕太の顔は一度見ているから問題はない。後はどこに出没するかだが、獄卒側もどうにも把握しきれていないようだ。
 容姿以外の手がかりがない状態で闇雲に探しても消耗するだけだ。金烏は昨日の場所まで赴くことにした。

 金烏は暑くも寒くもない空気をかき分けて進む。初めは歩きにくかった小石交じりの地面も、徐々に歩き方のコツをつかんできた。
 金烏にとって想定外だったことがもう一つ。いつの間にか話が拡大していて、道すがらで気の毒がられたことだ。単に労われる分にはまだいい、下手に手伝いを申し出られても困る。
 そのたびにお忙しい皆様の手を煩わせるわけにはまいりません、と少女らしくにこやかに切り抜けた。

 そうして一人で耕太を探し始めたはいいが、結果はと言えば芳しくなかった。
 この周辺が隠れ家になっているのは間違いなさそうだが、必ずしも見つかるとは限らない。
 手ごろそうな岩に腰かけて身体を休める。

「どうしたもんかな……」
 現状、金烏が採れる道は二つ。
 一つ、耕太を探し、小瓶を取り戻すこと。
 二つ、全てを諦めること。

 前者は手段が曖昧すぎてどう動けばいいのか漠然としている。後者に至っては論外だ。
 やはり、誰かの手を借りたほうが賢明だろうか。
 突然、結論を出しかねていた金烏の、一つに括った金色の毛先がぐいと勢いよく引かれた。
 そうなれば当然、金烏の首は大きく後ろに傾くことになる。完全に意識の外だったせいで、首にかかる負担も相当なものになった。

「いったあ!」

 首がもげるかと思ったほどの衝撃だった。声を抑えることもできず、金烏の苦痛が辺りに響く。
 何がおかしいのか犯人と思しき声が、金烏の背後で笑いながら言う。

「俺を探してたんだって? お嬢ちゃん」
「!」

 痛む首を抑えながら振り向くと、耕太がそこにいた。

「お前っ!」

 標的を視認した金烏の行動は素早かった。すぐさま岩から立ち上がり彼と対峙する。

「何のつもりだ、お前」

 いつでも動けるように、低めの姿勢を保ちながら金烏は睨みつける。
 対する耕太は至って平然としており、飄々とした態度を崩さない。

「何って、これ、返して欲しがってるって聞いてさ」

 彼が右手に掲げ持っている良く見知った小瓶は、確かに金烏の探し求めていたものだった。

「返せ!」

 金烏は反射的に飛びかかるが、事もなげにひらりと躱された。

「まあ、落ち着いて聞けよ。お前、俺と勝負しないか」
「勝負?」

 金烏は視線を外さないまま低く問い返した。

「そう。俺と一対一の追いかけっこで勝てたら返してやるよ」
「そんなもの、地の利があるお前が有利じゃないか」

 広大な場所で地理に明るいか否かは大きな差になる。勝負にすらならないことはやらなくても明白だ。

「だから、結論を急ぐなよ。俺が逃げ回る場所はこの“基地”だけにする」
「基地?」
「俺らはここら辺のことをそう呼んでるんだよ。で? どうする。やるのかやらないのか」

 耕太の口調は駄々っ子を宥めるようなそのもので、いちいち癇に障る。
 しかし、提示された条件は、金烏にとっても魅力的なものだった。
 賽の河原中を駆けずり回る羽目になるなら圧倒的に不利だが、場所が限定されていればもしかしたら。

(多少なりとも勝算はあるか)

 冷静を装った顔の裏で素早く計算すると、金烏は不敵に笑って己を奮い立たせた。

「やるさ。で、そっちこそどうなんだ。私が勝てばちゃんとそれを返してくれるのか」
「もちろん。約束したからには必ず返す」

 耕太も同じく不敵に笑った。

「俺を捕まえられたら、の話だけどな」

 **

 昼間は頭に血が上っていて気づけなかったが。
 勝負をあの「基地」とやらのみと限定したのは、もしかしなくても別に彼に不利な条件ではなかったのでは?
 あてがわれた自室の寝台でうつ伏せになりながら、金烏は思った。
 酷使した全身が悲鳴を上げている。もはや寝返りを打つことすら億劫だ。
 あの後、合図と同時に猛然と耕太を追跡したが、ついに腕一本にすら触れることが叶わないまま、時間切れになった。
 耕太はまだ余力のありそうな顔で笑いながら、明日またこの時間にな、と言い置いて颯爽と立ち去った。
 色々と迂闊だった。範囲を自ら狭めたとはいえ、自信があったからこそ、あの場所を指定したのだろうし、実際負けなかった。
 自身の計算高さはなかなかのものだとひそかに自負していたが、どうやら下方修正が必要なようだ。

「くそ、悔しい」
「くそだなんて、そんな汚い……」

 寝台の脇では、呆れと心配が混ざりあった複雑な表情の玉兎が居る。
 言葉遣いを咎められても、気にする余裕は今の金烏にはない。

「彼を捕まえればいいだけなら、僕が行きましょうか?」
「いや、あそこは思った以上に入り組んでる。お前だと下手をしたら一生迷子だぞ。それに」
「それに?」

 自身の短所に言及されてもさらりと聞き流し、玉兎は姉の言葉の先を促した。

「これは、私が売られた喧嘩だ。私が捕まえる、絶対に」

 金烏の内なる闘志に火が付いた。
 耕太は捕まえる。小瓶も取り返す。意地でも、必ず、断固として。
 こうなったら退かない金烏の性格をよく知っている玉兎は、呆れの色を更に深くして、盛大なため息をついた。

「それでは、夜の探索は僕にお任せください」
「そんな、私も」

 身を起こそうとした途端、身体を駆け巡る鈍い痛みに金烏は顔をしかめる。その様を眺めて玉兎は静かに首を振った。

「毎夜この状態になるとしたら、身動きが取れないでしょう。姉さんは手伝えるときだけで大丈夫です」

 無理をしても仕方ないです、と諭す言葉に、ますます金烏の眉根がきつく寄る。

「この様じゃ、身体より心の方が自己嫌悪で参りそうだ」

 実に無念そうな姉の口調にちょっと笑って、少しでも負担が軽くなれば、とそっと言葉を付け加える。

「片方が動けないなら、もう片方が動く。当たり前のことです。僕たちは二人で一つですから」

 **

 次の日も、また次の日も、耕太との勝負は追いかけっこなどという生易しいものではなかった。
 昼は耕太を追いかけ回し、夜に疲労困憊の中で唸る、その繰り返しだ。
 しかし、金烏とて無策で振り回されていたわけではない。

 待ち伏せ・罠・落とし穴等々、一通りは試したがことごとく無にされた。
 そもそも、と金烏は思う。彼我ひがの足の速さに大きく差があるのがまず問題だ。
 こちらが常に全力であるのに対し、耕太の余裕を崩せたことは一度もない。その事実は金烏の自尊心をいたく刺激するが、彼に匹敵するような身軽さを一朝一夕で、というのも無茶な話だ。

 それに、いくつか気になる点もある。
 ただの悪戯心でことを起こした理由はこちらの困り顔を見るためだとすると、飽きれば返してくるかと思っていた。
 そう結論付けてはいたが、一向にその気配はない。あくまでも勝敗で決着をつけるつもりなのだろう。

 せめて翌日まで引きずることがないよう努めるしかない。
 しかし、悠長なことを言っている暇がないのもまた事実。ここに居られるのもあと二日しかない。期限までに取り返せなかった場合のことも想定しておかなければならないだろうか。

 金烏がうんうん呻いていると、音もなくスッと扉が開かれた。老朽化のせいで建てつけも良くないのに、ここまで無音を徹底できるとは恐れ入る。
 こんな深夜に人目を憚って訪れる人物は一人しかいない。

「お疲れ、玉兎」
「姉さんも。大苦戦していると耳に入ってきてますよ」

 痛いところを突かれた金烏は、苦笑いとともに弟を迎える。
 自分だけが気まずいのもなんだか癪だったので、語調に少しだけ揶揄いの色を含ませる。

「そういう、そっちは?」

 先ほどまでの雰囲気とは打って変わって、玉兎は気落ちした様子で無言のまま首を振る。
 初日に目星をつけた場所からは結局何の収穫もなかったことは金烏も知っている。その後は徐々に捜索の範囲を拡大しているらしいが、いまだ成果は得られていない。

「思っていた以上に難しいですね。そもそも、果たして存在しているのかすら怪しくなってきました」

 いつもの任務なら、宣湘の望むものは具体的に指示されていたし、必ず存在していた。しかし、今回はその限りではない。
 労力を割いて探し求めているものが、実在していないのではないか。玉兎がそう疑うのも無理はない。
 おそらく宣湘の主目的は臙景の暗殺で、彼の弱みは副次的なものに過ぎないのだろう。あってもなくても構わない、その程度のものだ。
 力なく頭を振る玉兎は、いつになく弱気な態度を隠せないでいる。

「どうにもいつもの調子が出ませんね。ここに来て八日経ちますが、河原守との面会も叶わないままですし」

 耕太にかまけて失念していたが、まだ景と顔を合わせてもいないことを思い出した。年齢もどんな容姿かも不明で、辛うじて性別が男性と判明しているくらいだ。
 田児丸など獄卒に聞いても所在が分からないとは、神出鬼没にも程がある。

 かつてない不首尾に金烏は小さく息を吐きだした。
 何もかも後手後手に回っている気がする。何をどこで間違えたのだろう。

「もし、この任務を失敗したら、僕たちどうなるんでしょうね」

 ぽつりとこぼされた言葉に、金烏は静かに目を伏せた。
 これまでは運良く成功してきたが、今回のことで今後にどんな影響があるかまるで想像がつかない。否、したくなかった。
 したたかに世渡りをしていたつもりでも、いまだに綱渡りの途中であるのだと気づかされた。そして、その危うさから目を逸らしていたことも。
 弟の感じている言い知れぬ不安に対し、金烏は語る言葉を持たない。

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