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崩壊の日 前編

    ここは王座という名の檻の中
    今日は待ちわびた崩壊の日


「よしっ、偽造工作完了!」
 そろそろと城を抜け出すわたしの胸の鼓動は次第に速くなってくる。
 わざと地味で目立たない服を着て、そっと門をくぐり抜ける。こうすれば、誰もわたしをこの城のお姫様だなんて気づかない。
 駆け出したい気持ちを懸命に抑えて、ついに城の外に出ることができた。
 そのまま何気ない振りをして門をくぐり抜け、城の門が見えなくなった途端、わたしは思い切り走り出す。風を切って走るのは気持ちいい。
 そのまま遠くの方に青い人影が佇んでいるのが見えてきた。彼だ。
「ジェラルド!」
 そう叫んで彼の胸に飛び込んだ。わたしはジェラルドの大きな腕が大好きだった。彼の温かさが伝わってきて、とても心地いい。
「会いたかったわ。ジェラルド」
「わたしもですよ、アンリール様」
 様、の一言にわたしは不満顔になる。何度も言っているのに、これだけは直らない。丁寧な口調もそう。まあ、これは性格からくるものらしいけれど。
「それを付けて呼ばないで。あなたの傍にいるときは、わたしはただのアンリール。そうでしょう?」
 そうしてあなたはやっと言い直した。
「そうでしたね、アンリール」
 苦笑気味な彼の表情でさえもわたしには嬉しかった。久方ぶりの彼の姿を見ただけで幸せな気持ちになれる。
 わたしは彼の右腕を取って、その顔を見上げる。呼吸をする間すら惜しくて、言いたいことを早口でまくし立てた。
「久しぶりに帰ってくるって手紙を貰って、わたし、飛んできたのよ。ね、今度は長く居られるんでしょう?」
「ええ」
 彼の顔に浮かんでいるのはいつもの微笑だった。わたしの一番好きな顔。
 自分の顔がほころぶのが分かった。しばらくは彼と一緒にいられる。嬉しくて仕方なかった。彼の腕に抱きついて自分の顔を埋める。
「嬉しいわ。また旅のお話聞かせてくれる?」
 彼の腕から体を離して彼の顔をのぞき込むと、彼の温かい視線と出会う。
「喜んで」
 

 彼との出会いは一年前。
 行儀作法やらダンスのお稽古やらが煩わしくて仕方がなかったころ。
 あのときそれ以上に鬱陶しかったのは、周囲の思惑。
 父である国王には、わたし以外に子供もいなかった。だから、周囲の期待やら何やらを一身に浴びることになったのだ。そのときからわたしの周りには、ごくわずかな側仕えのものたちを除いて、未来の女王に取り入っておいて利益を得ようと考えている人間しかいなかった。
 それがとても息苦しかった。
 彼らはわたしを見ていなかった。彼らの見ていたものは、わたしを通り越したところにある王座だったから。
 そのうち急な病で父が亡くなると、わたしの生活は激変した。
 跡継ぎである当時のわたしは十四歳だったから、城の主立った人たちが相談してもう少し成長してから正式に即位する、という結論が出された。即位までの多少の時間の猶予はあったものの、それからのわたしがこなさなくてはならないことは今までと比べものにならなかった。
 そして、わたしに取り入ろうとする動きは激化の一途を辿っていった。いつも誰かがそばにいて、自分以外の誰かがわたしに近づかないように牽制しあっているような有様だった。
 毎日がそんな繰り返しだったから、父の死を悲しむ暇さえなかった。
 非日常が日常になって数日後、わたしは発作的に城から抜け出していた。気がついたら城から遠く離れた森の中にいたのだ。
 人の気配のしない森。ここでなら一人で父の死を悼んでも誰もわたしを咎めない。
 一人になって落ち着くと、ようやく父の死の実感がわいてきた。膝を抱えて背中を丸めて、思う存分涙を流して幾分すっきりした。
 気がつくと、木々の合間から見える空は赤く染まっていた。今頃城では大騒ぎになっているだろう。わたしはそろそろ帰らなければと、よろよろと立ち上がる。
 けれど、これから戻る場所に父はもういないことを思い出して、わたしはまた涙する。せっかく帰ろうとしたのに、また涙がぶり返してしまった。
 また座り込んで泣き疲れるまで泣いたわたしが顔を上げた目の前に、一人の旅人が、いた。
 そのときのわたしは顔中涙だらけで、我ながらみっともなかったと思う。そんなわたしに彼は優しく話しかけ、心が落ち着くまでずっと側にいてくれた。黙ってわたしの話に耳を傾けてくれた。
 彼はわたしを何にもとらわれず扱ってくれた初めての存在だった。
 
 
 彼はいつも笑顔を絶やさなかった。
 大人である彼から見たら、この間やっと十五歳になったわたしはまだまだ子供。一緒にいても退屈なんじゃないかと思っていた。だから、こうして彼が笑顔を見せてくれることで安心できる。
「じゃあ、わたしまた来るわね」
 名残惜しかったけれど、今日はあまり時間がない。
「アンリール」
 わたしの部屋に誰も居ないことがばれたらまずい。そうなる前に急いで戻ろうとしたわたしを彼は急に呼び止めた。
「なぁに?」
 振り返り首をかしげたわたしを見つめて、彼は唐突にこんなことを言いだした。
「私たちはもう会わない方がいいのかもしれない」
彼が言ったことを理解するのに時間がかかった。
「え? どうして。どうしてそんなこと言うの!?」
「私と貴女ではあまりに身分が違うから、ですよ。これ以上私たちは関わらない方がいい」
「そんな……」
 いきなり降ってわいた言葉に頭の奥ががんがんする。その後に浮かんできたのはどうしようもない憤りだけだった。
「そんなもの、関係ないでしょう!? おかしいわ! わたしがこの国の跡継ぎの王女だから? あなたが旅人だから? だからわたしたちは結ばれてはならないなんて、一体誰が決めたというの!?」
 我ながら、駄々っ子のようだとは思う。でもこれだけは譲れない。
 彼は何か言ってくると思った。きっとわたしの納得のできない言葉を。
 けれど。
 彼から返ってきたのは、どこまでも柔らかな微笑とどこまでも温かな抱擁だった。
「ジェラルド?」
「貴女は、貴女はずっとそのままでいてください」


 それから数日。わたしはまたいつもの手段で城を抜け出した。頭が固い城の守り役と違って、わたしのすぐ傍に仕えてくれている人たちは、わたしの脱出を見て見ぬふりをしてくれる節がある。
 それをありがたいと思いながら、今日もまた息を切らせて彼の元まで駆けていった。
「ジェラルド」
 この前と同じ場所にいた彼を見つけて声をかけたのに、いつもなら返ってくる言葉が、抱きしめてくれる腕が、ない。
「ジェラルド?」
 また名前を呼ぶ。それでも反応がない。
「どうしたの? どこか具合でも    」
 彼の腕を触ろうとした手が、ぱしり、と払われる。一体何が起こったのか全く理解できなかった。そうして彼の口から言葉がこぼれ落ちる。
「アンリール。私はこれから旅に出ようと思っています」
「え? だってしばらくはここにいるって」
 見れば、彼はいつも旅立つときのように、旅支度をしていた。動揺するわたしを一瞥して、彼は冷たいとも言える無表情を全く崩さずに応じる。
「本音を言って差し上げましょうか? 貴女のお守りにはもううんざりなんです」
「そ、んな………」
「本当のことですよ。そして、私が貴女の傍にいた理由も教えてあげましょう」
「いやっ、聞きたくない!」
 わたしは反射的に耳を塞ごうとする。でも、両手は細かく震えていて叶わない。
「それはね、貴女の持つだろう力が欲しかったからですよ」
 わたしの一番聞きたくなかった言葉がするりと耳に入ってきた。 わたしは信じられない言葉ばかりを浴びせられる。
「私もたいがい運がいい。あの日森で泣いていた小汚いガキが、まさかこの国の世継ぎの王女だなんて、ね。まったくついてるとしか言いようがない」
 何を言われているのか分からない。いや、理解しようとすることをわたしの頭は拒否していた。
「まあ、最初のうちは良かったんですけどね。だんだん貴女と居るのもうんざりしてしまって。このまま貴女のご機嫌取りをやるのがめんどうになったんですよ」
 もう二度と会うこともないでしょう、と荷物を背負い、わたしに背を向ける青い後ろ姿を見ようとしても、涙が邪魔で何も見えない。
 あなたの残したあなたの言葉。その一つ一つが刃となって消えない傷をわたしに刻む。
 わたしはそのまま泣き崩れた。
 どうしてどうしてと問う言葉と涙だけがわたしの中から溢れだしていた。


 わたしはその日から二度とあの人に会いに行かなかった。
 急に大人しくなったわたしに側仕えはおろおろと心配したけれど、理由は一言も話さなかった。おかげで、城内でやたらと活気づいているのは、わたしを祭り上げようとする連中だけだった。
 それからまた数ヶ月が経ち、とうとうわたしは彼の行方を捜すように命じた。あれが、あの言葉が本当に彼の意思だったのかを知りたくて。いや、本当だったとしても、もう一度彼に会いたかった。知らせが来るのを今か今かと待ちわびた。
 そしてその日がやってきた。
 早鐘を打つ心臓をなだめ、できうる限りに馬車で駆けた。行方を捜すよう命じた者が言うには、国境の近くの街にいたという。
 まだいてくれることを行く道すがらずっと祈っていた。もしすれ違うことになったら。考えるだけでもぞっとする。
(お願い、早く着いて    )
 彼がこの街にいるときにいつも使っている小屋が、街外れにあるということを聞いて、わたしを乗せた馬車はそちらに向かう。
 その小屋にはほどなくして着き、馬車には街の入り口で待っているように言った。
 ドアの前に立ったわたしはその扉を開けることを躊躇う。あの日のことがわたしに二の足を踏ませた。
 また、あんなことを彼から言われたら、伸ばした手を突き放されてしまったら。
 いいえ、それでも構わないと、それでも彼に会いたいと、決めたはずだ。
「ジェラルド!!」
 覚悟を決めて勢いよく扉を開ける。
 会いたかったと、口に出そうとしたが、それに続く言葉は出てこなかった。目の前の光景に目を奪われて。
 部屋中が真っ赤だ。まるで見せしめのようにまき散らされた赤。その緋色の真ん中にいたのはジェラルドだった。わたしが会いたいと思ってやまなかった彼だった。仰向けに倒れている彼は天井を見つめたまま動かない。
「何……? これ」
 そう無意識に呟いたことにも気づかず、わたしはゆっくりと彼に近づく。ドレスが汚れるのにも構わず血溜まりの中に跪き、彼の頬に触れる。冷たい。
「やっと……会えたのに」

 やっと見つけだしたのに。あなたは冷たい骸となっていた。

 見開かれたあなたの瞳は何も語りはしない。
 あなたは青い色が好きで、いつも青色をまとっていたのに、その姿は禍々しいほどの緋色で染められていた。
「あァ    」
 わたしの口からはそんな音しか出てこない。
 手にも足にもまるで力が入らない。
 焦点の合わない瞳で彼を見たら、彼が握りしめている何かに気づく。わたしはいまだにまったく力の入らない指でそっと彼の手から受け取った。それは、今は物言わぬ彼からの手紙だった。

『親愛なるアンリールへ
 もしもの時のために、これを残しておきます。
 あの日のこと、貴女はさぞや傷ついているでしょう。
 あのときは本当に酷いことをしました。
 どうか許してください。
 けれど、私にはそうするしかありませんでした。
 貴女の力を狙っている者は、私と貴女が親しくしていることなど、既に聞き及んでいることでしょう。
 そして、貴女を御するための道具として私を利用しようとするでしょう。
 私は貴女の足枷になるわけにはいきません。
 だから、私は貴女を突き放し、貴女の元から去ることにしました。
 本当のことを伝えることはできませんでした。
 こうして真実を伝えることは、私にとっても貴女にとっても危険なことだからです。
 けれど、どうしても、貴女に私の本当の心を知ってもらいたかった。
 私のことは、どうかこの世になき者として、考えてください。
 アンリール、どうか幸せに。
 私は今でも貴女のことを        』
 
 文字はここで途切れていた。そのかわりに赤いものが点々とついている。

 全部嘘だった。あの日の言葉も素振りもすべて。
 すべてが分かったというのに、すべてが手遅れだった。
 わたしのせいであなたは死んだ。

「あァ、ああ…………」
 ノドがからからに渇いている。
 父が死んだときや、ジェラルドが去ってしまったときは、自分が干からびてしまうのではないか、というくらい泣きに泣いたけれど、今は一粒も零れてこない。
 衝撃が重すぎると涙がこぼれる隙すら与えられない、ということをわたしは初めて知った。
 わたしは見開かれていたジェラルドの瞼をそっと下ろした。
 わたしは彼の頭を膝に乗せ、髪や頬を労るように撫でる。彼に触れるたび、その冷たさが命の温もりが宿っていないことを思い知らせる。
 永遠に続いていくかのような静寂の後、わたしは彼から離れた。
 街に馬車を待たせてある。彼を埋めている時間はない。
 そう結論づけたわたしは小屋の中のものを使って、彼のいる小屋に火をかけた。
 小屋を飲み込んで赤々と燃える炎を無感動に見つめる。
 何も残さずに燃えてしまえばいい。
 火が収まるまで見ている気はなかった。天まで届くような炎に背を向ける。
 無駄にできる時間はないのだ。ようやく分かったのだから。
「そう……」

 私は何をすべきなのか。
 それを思うと、自然と笑みが零れた。


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