夢のようなる真夜中にて

 総真の家出から始まった騒動も無事解決を見た数日後、慶孝は総真が訪れたという廃駅にいる。
 時間は同じく深夜二時になろうかという頃。
 ホームに備え付けられた長椅子に深く座り、身動き一つせずそこにいる。
「あのねえ、お客さん」
 ふと慶孝の横から呆れた声音がする。
「乗車する資格もないのに列車を待っていられちゃ困るんですよ」
 慶孝がゆっくり横と向くと、柳真が椅子に踏ん反りかえっていた。足を組み全身を椅子に預けている。
「……本当に来るんだな」
 隣の男に気を取られているうちに、いつの間にか目の前に列車がある。
 マイペースな慶孝に若干イライラした様子で柳真は言った。
「感心するんじゃなくて、親子揃って営業妨害はやめてくれます? いい迷惑なんで」
 口調こそ丁寧だが、態度はぞんざいだ。
「そんな年じゃないだろうに、なんで見つけようとするんだかなあ、もう」
ぼやく口調の柳真に、前を向いたまま慶孝は口を開く。
「今日ここに来たのはお前に会うためだ、一真」
「……何の理由があって」
 そう口にした瞬間、柳真、いや一真の態度が硬化した。
「死んだ人間に会ってどうなる? 俺はもうお前らとは関係ない」
「まずは礼を。総真を無事に返してくれてありがとう」
 駅の構内は電気が通っていないせいか、明かりになるものはささやかな月光と列車から漏れてくるかすかな光だけだ。その光は頼りなく、相手の顔もうっすらと表情が読み取れる程度だ。人物の輪郭と声が相手を知る手段となっている。
 それでも慶孝は一真に向き直り深く礼をする。それを顔を動かさず横目に見た一真がけっと悪態をつく。
「礼を言われる筋合いはねーよ。言ったろ、迷惑だって」
 憎まれ口にも動じず慶孝は、自分の言うべき言葉を続ける。
「いろいろ悩みも聞いてもらったと」
 呑気な様子に、何を意味するのかが分かっているのかと一真は苛立ちながら言い放つ。
「ああ、そうだなお前の不手際のせいで、危うく息子はあの世行きだったわけだ」
 総真のした体験は言ってしまえば、一種の臨死体験だ。幸いすぐに見つかったが、ひとつ間違えば何が起こっても不思議ではなかった。
 非難めいた皮肉にさすがに慶孝も眉を顰めるが、事実と何も違わないので黙って受け入れる。
「あのバーさん前々から俺のこと嫌ってたの知ってただろ。余計なこと言わないよう釘刺しとけよ」
「それに関しては返す言葉もない」
 慶孝は申し訳ない、とまた深く頭を下げた。
「お前から預かった宝物を危うく損ねるところだった」
「……謝る相手がちげえだろ、まったく」
 いくらか態度も軟化したようだ。怒りよりも呆れが勝ったかのような声で一真は言う。
「で、なんの御用ですか、お客様? 仕事も押してるから手短に頼むぜ」
「お前に聞きたいことがある」
 一言前置きして、慶孝は膝に添えた拳を握り締めた。
「なんで、あの猪口を俺に渡したんたんだ。あれは、お前の夢だったろう」
 瑞帆の中にいる子供が男の子だと分かって、喜びを抑えきれない様子で慶孝の家に駆け込んできたときのことを今でも覚えている。
 瑞帆の妊娠が発覚したときと同じくらい歓喜に満ち溢れた表情だった。
 生まれて来る子と一緒にしたいことを興奮して話していた。キャッチボールがしたい、釣りに行きたい、キャンプをやりたい。
 そして、二十歳になった息子と一緒に酒を飲みたい、と。
 未来を語る顔はこの上ないほど輝いていた。やれ、名前はどうする、ベビー用品はどれがいいだろうか、とその場で百面相な一真を見ると、自分のことのようにうれしかった。
 実現すると信じて疑わなかった、けれど、ついに訪れることのなかった幸せな光景。
「別に大した理由じゃない。俺が持っていても意味のないもんだ。俺にはどうやっても叶えられない夢だからな」
 感情をうかがわせず、何でもないことのように語る一真。
 叶えられなくなった夢、という言葉から滲む切なさに慶孝は目を伏せた。
「俺はあいつに何かしてやったこともない。これからしてやれることもない。でも、お前になら託せる。あいつも、瑞帆も。そう思ったから、そうしただけだ」
「そうか」
 そこまで信頼されていたというのに、総真を傷つける事態になってしまった。その事実が暗澹たる思い沸き起こさせる。
「託されたというのに、俺は……」
 後悔に顔を曇らせる慶孝とは対照的に、一真はまた呆れ顔で息を吐いた。それは労わるような優しさすら感じられるものだった。
「そんな重く捉えるなよ。あいつはお前の隠し事で悩んじゃいたが、それでも大切に育てられてきたんだって見りゃあ分かる」
 お前たちの努力あってこそだろ、と眼前の虚空を眺める一真の顔からはかすかな笑みが読み取れた。
「ありがとな、総真を立派に育ててくれて」
 慶孝とは視線を合わせないままではあったが、一真の感情はそのたった一言で十分に伝わってくる。
「そんな、それこそ、礼を言われるようなことじゃない」
 声の上擦りを抑えてそう返すので精一杯だった。
「そう言うんなら、お互いさまでいいだろ?」
 慶孝の心中の動揺をそ知らぬふりで一真は笑って躱す。
「まぁ、迷惑とは言ったが、いろいろいい機会をもらったとは思ってるよ」
 総真の成長をこの目で見られたことも、こうして慶孝と話せたことも。そう言外に一真は語った。
「もう無茶な真似はすんなって、お前の息子によく言い聞かせとけよ。あのあと結局ばれてしこたま怒られたってな」
「俺の息子である前に、お前の息子でもあるだろう」
 慶孝はお前の息子、という部分について訂正する。そこは譲れない一線だ。
「何度も言うけど、俺は何もしちゃいないんだ。そんなんで親面とかできるかよ。生みの親より育ての親っていうだろ」
 反射のごとく即座に否定する一真に、慶孝は静かに反論した。
「そんなことはない」
「つい最近まで存在すら知らなかったようなのより、今まで大事に育ててくれた親のほうが大切に決まってるだろ」
 学生時代を思い出すやや早口で乱暴な物言いに懐かしさを覚える。お互いに若かった頃はこんな風に言い争いをしたものだった。湧き出る回顧の念を振り切って、慶孝は語る。
「世の中ではそういうケースもあるんだろうが」
 と前置きして言葉を切る。これが一番言わなければならないことだ。
「総真は、父親が一人増えただけだと、言っていた」
「……へぇー」
 ともすれば聞き逃してしまいそうな素っ気なさ。
 一真の感想は一見すると無感動に見えるが、付き合いの長い慶孝には分かる。
「照れくさくなると視線を合わせなくなるのは相変わらずみたいだな、お前」
 無自覚の癖を指摘されても、一真は慶孝を見ようとしない。
 不自然に顔を背けたまま、ことさら声を張り上げた。
「ともかく、そっちがどう思うと俺はもう無関係なんだから、巻き込んでくれるなよ」
「仕事の邪魔をする気はない。でも、六年後にまた、会おう」
 それだけでは意味のわからない言葉だったが、慶孝の意図したことは伝わったらしい。
「いやだね。六年どころかしばらくは顔も見たくねえから、つるっぱげのジジイになるまでその面見せるなよ。分かったな!」
 すげない拒絶からそのまま椅子から立ち上がる。そのまま列車に向かい、慶孝を二度とは振り返らなかった。
 慶孝が目を瞬いた瞬間に、彼の背中も停車した列車も消え失せて、ただの廃駅に戻ってしまった。彼の存在が錯覚だったかのように、何の名残もない。
 二度めの別離を終えた慶孝は、静寂に包まれる廃駅のホームで細く長く息を吐いた。
end.
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